価値観、月
・元来、人を見下しているし、自分は他人に対して判断や評価を下す事ができる存在だと、そういう前提を俺は何故か当たり前に所有している。何故だろうか。俺は君らとは違う。価値の勘定の仕方、見方が違う。つまりは価値観が違う。君らと違うレンズをしているから、君らとは見えている物が全く異なる。俺にしかわからない価値が確かにある。君らにはわからない、俺にしか見えていない価値がここにはある。だからどれだけ確かな経験の差、実績の差があろうと、俺は数多の先人さえも見下している。自分は見下される側であると知りながら、俺は容易に君らを見下している。俺が見下せないのは、本当の意味で見下せないのは、この月光だけである。
・観月とは行為を名詞化した二字熟語である。が、というよりも、俺の印象にはこの言葉からは地名の方が先行して映る。作中で名を出した訳ではないが、その地を想像で描いた詩を、人に渡した事がある。
・きっと、俺の価値観は月並みである。
・観月の際、俺は月並みである。
・それは凡庸とは違う。
・君らとは違う。
君らにこの意味がわかるだろうか?
観月とは即ち、本質を写す為の名前である。