雲と私情

創作品

三日月が綺麗だった

物事の節目はただの区切りに過ぎないけれど、何かが終わるという意味において、その区切りは大切なんだと思う。

二月も終わりが近く、僕のモラトリアムも終わりが近い。もう終わったも同然なのかもしれない。

今日、所属する学内サークルの活動も節目を迎えた。あとは一度、飲みの席が残されているだけ。

こんなものか、という感じが強く残る。僕は無意識にドラマチックな終わり方を期待していたのだろうか。しかし現実はドラマではない。

何かを成す訳でもなければ、何も成さない訳でもない。気張ろうにも踏み留まろうにも、僕はただ流される他なかった。与えられた時間と、降りてきた仕事と、磨り減った体力。それらを上手く組み合わせて、結果に残そうとしても、僕ができることには限りがあった。

立つ鳥跡を濁さずという諺を知ったのはいつ頃だっただろうか。最初に耳にしたとき僕は何を思っただろうか。今の僕には、それがとても誠実な言葉であるように思える。

しかし僕は、濁しに濁したままなのだと思う。初めから濁っていたと言えばそれまでだけど、濁して立とうとしていることに変わりはない。とても誠実とは言えない終わり方をしようとしている。

引き受ける他ない現実はそれだけで運命と言えてしまう。僕はこんな詰まらない終わり方を、運命として受け入れようとしている。

活動を終えての帰路。新宿駅で乗り換えて、そこからは一人。車内では殆どの人がマスクを着けていた。感染症を恐れてのことだろう。僕も着けていた。

飲み残していた綾鷹を片手に、ぼうっと窓外を眺めた。地元に着くまでに運良く座れたので、それからは目を閉じて休んだ。胃腸炎を拗らせてから二週間経つけれど、疲労の溜まり方がずっと異常だ。

熟睡するでもなく、何もできないままに地元駅へと着いてしまう。入社前に受ける検定の勉強とか、三月の日程を整理するとか、やるべきことは沢山あった。

駅のホームから階段で上がると改札があり、その手前にはゴミ箱がある。僕は人波に乗って改札を出た。車内で空にしたペットボトルを捨てるのを忘れた。

外に出てふと振り向くと、駅舎の屋根の、更に上の方が白く光っていた。三日月だった。近いところで一等星が瞬いていた。僕は今日を思い出して溜め息を吐いた。

とぼとぼ歩いた。どうしようもないことばかりが脳内を廻った。

家の前まで来て、もう帰宅なのかと思った。また三日月が見えた。とても鋭利で、とても丸かった。

埋めようのない穴があったとしても、美しくあれたらそれだけでいいんだと思った。僕は三日月からも遠かった。

満月よりも白い、跡を濁さない自分が欲しい。