雲と私情

創作品

黒江真由という女の話

 

 

※『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編』(以下、本書)のネタバレがすごい記事。読了前提

 

 

 

 本書を読了したとき、僕は、彼女に対してこう思った。

 

 何かがズレている。けれど、そのズレを言い表す言葉が見つからない。

 

 この違和感は、おそらく読者全員が抱いたのではないか。

 視野の違いや主人公への移入の深さによって、違和感の振れ幅は大きく変わるだろう。しかし本書を読めば、誰もがきっと、黒江真由の「得体の知れなさ」に、少なからずモヤモヤしてしまう。だがそれがいい

彼女は多分、意図的に何かを隠そうとしているのではない。あすかのように本心を大人の仮面で塗り固めているわけでも、奏のように大人びた自分を演出しているわけでもない。ただ、いい子というひと言で表すには、何かが異質なのだ。*1

 僕が探すのは、この“異質”を定義する「言葉」である。

 その解明にあたっては、黒江真由がどういった人間で、周囲にどういった影響を及ぼすのかを、よく理解しておくべきだろう。

 そのため本記事は、400ページ弱の文庫本から彼女に関する情報を収集し、整理することから始める。その上で、彼女の人格を分析し、解釈し、彼女の“異質さ”を暴きたい。

 

 以下、しばらくは箇条書きで黒江真由に関する情報をまとめる。特に重要と思われるところには色をつけておいたので、注意して読んでもらいたい。

 

 

黒江真由

 

1.容姿・雰囲気

・ほのかに曲線を描く脚

・柔らかそうな皮膚。マシュマロを思わせる白い肌

・双眸は大きく、やや垂れ目

・艶のある、長い黒髪。胸元にかかる

・少し厚みのある柔らかそうな唇

・地味さと可愛らしさがいい塩梅で溶け合った顔

・声が穏やか。聞いていて心地よい(僕の脳内ではcv.能登麻美子で再生される)

・柔らかな声質、おっとりとした雰囲気(cv.能登麻美子しかありえない

・美術の教科書に載っている春の女神みたいな空気を持つ

・着やせする体質(?)着替え途中は制服のときと比べ、むっちりした体形に見える

・サンフェスの衣装はシャツだけLサイズ。背丈基準の衣装だと胸元がきつく、シャツのボタンが弾けそうになる

・真っ白な肩甲骨。天使の羽の名残りを垣間見たかのような、綺麗な背中

・北宇治の衣装(サンフェス用)がよく似合う

凹凸のあるボディライン

・可憐さをまとう柔らかな白い頬

・振る舞いに大きな隙があり、他者の警戒心を薄れさせる

・ほっそりとした指

・絹のような黒髪を梳く指先からは、うっすらとベリーの香りがする

凹凸の少ない顔立ち(体形は凹凸あって顔面は凹凸少ないの最高か????

 

2.性格・嗜好・目立つ言動

・本人曰く「前に前にって性格じゃない」、「誰かに話しかけてもらえないと上手くしゃべれない」*2

・北宇治を選んだ理由は「コンクールで結果を出したい」と言うよりも「合奏するなら上手なほうが楽しいから*3

・「合奏が好き」(自分が吹ければそれでいい、という奏者とはこの点が大きく異なる)*4

・緑輝曰く、動物に例えると「クラゲ」。理由は「遠目に見てる分には綺麗でただ流されているようにも見えるけど、うっかり刺されたらピリッと痛い」から*5

・「北宇治でもAメンバーになりたいなって思ってる」と発言*6

・「辞める子が出るのって、そんなに珍しいことじゃないでしょう? どうしてそんなに心配するの?」*7

・「たとえば部活を辞めた子がいたとして、その子はつらい気持ちから解放されるし、残った子たちはその子を気にしなくてすむし、win-winの関係になれると思わない? たかが部活なんだし、無理してしがみつくようなものでもないでしょう?」(皮肉ではなく本心)*8

・(「たかが部活」を、奏に「らしくない、過激な発言」と指摘され)「そ、そう? どこかおかしかったかなぁ。そう言えば、清良でも同じような反応されたんだよね」*9

・「北宇治で長くやってる子が優先してコンクールに出場すべき」と言い、オーディションを遠慮する素振り。清良では「頑張ったらみんな喜んだ」ためオーディションを辞退したいとは思わなかったらしいが、北宇治という環境では辞退したがる*10

・写真撮影が好き。ただし自分は写さない。自分が写るのは好きじゃない。みんなを撮るのが好き。「自分が写ってる写真を見たら、ちょっとぞっとしちゃう*11

・(オーディション直前の)部の1年生曰く、「やっぱ転入生」「まだ馴染んでない感じはする」「本人が悪いとかではないけどね。そういう空気やん、やっぱ」*12

・オーディション後、府大会の数週間前にソリの練習をする。思わず突っ込んだ奏に対して「私、変なことしたかな」と答える*13

 

3.その他スペック

・福岡の超強豪、清良女子高校でユーフォニアムを担当していた。1,2年次のコンクールでAメンバー

・3年次に北宇治高校へ転校。「ほかの子の迷惑にならないか」と迷った末、周りの推薦もあって吹奏楽部へ入部

・親が転勤の多い仕事。最低でも9つの地域に居住経験あり(京都、福岡、北海道、秋田、群馬、東京、静岡、和歌山、山口)(都道府県の4文字制覇してて草)

・マイ楽器として白銀のユーフォニアムを所持(田中あすかのものと同じ型番)。中学生のときに母親に買ってもらった

ユーフォニアムが上手い

バブみがヤバみで小学生の頃は「ママ」と呼ばれていた

・離れていてもよく聞こえる、艶のある音色

・裁縫が上手い。器用

・進路は東京の大学を希望。友達がいるらしい

・写真が好き

・音は柔らかで、綺麗で、軽やか。芯のある音色の表面は、華々しさでコーティングされている。音量は大きいのに、上品さは失わない。効率のいい楽器の響かせ方をする。

 

 

 以上、淡々と(淡々と?)書いてきたが、明らかに重要であるにも関わらず書き記していない行動・言動がある。それは、主人公・黄前久美子とのやり取りである。

 そもそもこの小説、ほとんどが(エピローグ・プロローグ等は除いて)黄前久美子の視点で書かれている。すなわち本書での黒江真由は、「黄前久美子から見た黒江真由」と言うことができ、これをさらに言い換えるのならば、「黄前久美子と関係する中での黒江真由」となる。

 本書はあくまで「部長:黄前久美子」の主観による“北宇治高校吹奏楽部”を描いたものであり、“ここでの黒江真由が、本来の黒江真由とは限らない”点に注意したい。

 彼女の立っているところが、彼女の居場所たり得ているとは限らないのだ。

 そこで僕は、黒江真由と黄前久美子のやり取りを別枠にまとめることにした。

 

4.黒江と黄前

・黄前視点の“こちら”(範囲は定かでない。葉月、緑輝も含む?)を、ちらりと上目遣いに見て、はにかみながら、「あんたんこと、好いとーよ?*14

・入部時に黒江の持つ白銀のユーフォニアムを見て、黄前はひきつった笑顔を返すしかない*15

・黒江の笑顔に、黄前は「自分はあなたの脅威ではない」「自分はか弱い」という無言のメッセージを感じ取る*16

・黒江の演奏の技術に、黄前は焦燥という名の痛みを覚える*17
・意外と合理的、という黄前の指摘に対して「どっちかっていうとズボラなの」と返答*18
・黄前と奏の関係に対し、「うらやましい」「私もみんなとそんなふうになりたいな」*19
・黄前、黒江の容姿(のみ)を見て「クラゲにはとうてい似ても似つかない」と評価*20

・黒江が葉月や緑輝、佳穂とともに和気あいあいと談笑しているのを見て、黄前は「自分がいなくとも低音パートは成立する」と思考する*21

・よかれの心(?)でオーディションの辞退を望んだ黒江に対して、黄前は“オーディションを辞退して喜ぶ人間がこの北宇治にいると思われるのは不愉快だと感じる*22

・黄前は今年の低音メンバーは仲がいいと分かっているが、だからこそ黒江がそのバランスを崩してしまうのではないかと警戒する*23
・黄前をあがた祭りに誘う。黄前が「別の子と約束がある」と嘘をつくと、あっさり引き下がる。*24
・ソリの練習をしていた黄前に対し、「私、トランペットパートを吹くから、かけ合いしない?」と働きかける*25
・かけ合い中、黄前の目をまっすぐに見つめ、うれしそうに目尻を下げる。純粋な喜びを瞳に浮かべる*26
・かけ合い後、ほのかに赤く染まる頬を緩ませ「楽しかったね」と言う黒江に対し、黄前は後ろめたさを感じる。不穏な色をした違和感*27
・↑のかけ合いを麗奈に知られ、こそばゆさとばつの悪さを感じる黄前*28
・「久美子ちゃん、やっぱり私、辞退しようか?」と再度オーディションを遠慮する。それが「優しさから出た言葉」なのか「気を遣ってのひと言」なのか、黄前には真意が見えない*29
・ソリに選ばれた黄前に対してうっすらと微笑みかける。「悔しさや悲しさを一切感じさせない、純粋なる祝福」*30
・『響け! ユーフォニアム』を吹いていた黄前を見つけ、悪意なく「なんて曲なの?」と聞く。黄前はそれに本能的な不快感を覚える*31

・黄前は黒江のことを「好き」「いい子」と思う。しかし同時に「踏み込まれると抵抗がある」「距離を縮めることに、困惑する自分がいる」とも*32

・黄前のレンズには、黒江の後ろ姿があすかと重なる*33
・「北宇治として本番に立つ」ことを「ふふ、なんだか不思議だよ」と寂しげに言う*34
・↑を見て、黄前は「多分、意図的に何かを隠そうとしているのではない」と感じるが、「ただ、いい子というひと言で表すには、何かが異質」と評してもいる

 

 

分析

 

 黄前久美子とのやり取りを分けて考え、情報を(割と客観的に)まとめたことで、見えてきたものがいくつかある。以下にそれを記し上げたい。

 

 Ⅰ.かなりのハイスペック
 Ⅱ.風貌がありえんエロい
 Ⅲ.意外と周囲への悪意はなさそう
 Ⅳ.北宇治に居場所がなくて浮いている
 Ⅴ.この女、黄前のことが好きなのか?(ライクではなくラブ?)

 

 中でも注目すべきはⅤだろう。Ⅳの「居場所がなくて浮いている」だろう。

 そもそも前述したように、この部活は黄前久美子が取り仕切っている(この理論は極端だが、便宜上こう書かせてもらう)。同じ低音パート、同じユーフォニアム担当の黒江真由ならば、殊更に黄前久美子の影響は大きいはずである。

 では、当の黄前は彼女に対してどう接していただろうか。

 上にまとめた通りではあるが、とりわけ目立つのは、黒江に違和感を覚え、理性的に捉え、警戒するという動きである。

 僕の分析によると、黄前がそうなってしまう原因は、大きく分けて3つある。

 1つ目は、黄前久美子が部長という役割を背負い、理知的な判断を強いられていること。

 2つ目は、最後の年のコンクールにおけるトランペットとのソリの座を奪われたくないという思い。

 3つ目は、黒江真由の異質さそのもの。

 これまでのまとめで、問題の一端は“黄前久美子の主観”に起因していることが分かっただろう。それが、上の1つ目と2つ目のファクターである。

 あくまで「全国大会金賞」を目標とし、部を導こうと努力する、部長としての黄前。その役割を遂行するには、“理性的に部を見る”ことが必至であり、部の方針に沿わない部員には更生させようと働きかける。

 同時に黄前には、ユーフォニアム奏者として、ないしは高坂麗奈の親友として、ソリの座を取られたくないという強い思いがある。

 これらの中に3つ目の“黒江真由の異質さ”が介入してくることで、負の相乗効果が生まれ、黄前は黒江をはねのけてしまうのである。それによって、お互いの内に疎外感が生じてしまう。だから黄前久美子は「自分がいなくとも低音パートは成立する」と思考したし、だから黒江真由は「北宇治として本番に立つ」ことを「不思議」と感じた。

 黄前久美子高坂麗奈の間に存在するのが「引力」ならば、黄前久美子と黒江真由の間で働いているのは、言わば「斥力」である。

 

 ……では、“黄前久美子の主観”を差し引いた“黒江真由の異質さそのもの”とは一体何か。

 

 それが分かりやすく表れるのは、“北宇治以外の場においても異常”と取れる言動だろう。

 上の“2.性格・嗜好・目立つ言動”の欄に、「清良でも同じような反応された」という言動を、本書から引っ張ってきた。

 「たかが部活なんだし、無理してしがみつくようなものでもないでしょう?」という発言は、奏が「過激」と指摘したように“吹奏楽の強豪校においては明らかに非常識”だと言える。

 しかし俯瞰して視野を拡げれば、話は別である。

 一般に、部活動は勉学の次に優先されるべきものだし、「楽しくやる」ことが目的となるケースも多い。それならば、「たかが」という考えもあながち間違いではないのだ。部活を辞めたとて生活に困窮するわけではないし、敷かれた人生のレールから脱線するわけでもない。生きるにおいて、部活動は必須ではないのである。

 彼女の言動が異常に思われるのは、

自らが正しいと措定したデフォルトの構え

 が、ある過酷な環境下では

異質なものへと変貌するからだ。

 

 僕自身「自らが〜構え」という言葉は長ったらしくて分かりづらいと感じたので、説明を試みたい。

 黒江真由は基本、周囲から優しい人間として捉えられる。それは言い換えるならば、彼女の“構え”が優しく見えるということである。そして同時に、目に映らない部分がどうなのかは“分からない”ということだ。

 “目に映らない部分”を邪推すればするほど、彼女への警戒心は肥大化する。黄前が陥っているのはまさしくその状態だろう。

 しかし推測するに、黒江真由は自らの価値観を張っているだけなのだ。

 僕がわざわざ“デフォルトの構え”という言葉を使うのは、

 どんな状況に置かれても、黒江真由はまずその構えを取ってしまうからだ。

 新しい環境において彼女はまず、“自らの価値観”と“優しさ”を基軸にした立ち居振る舞いをする。

 その“正しさ”が“置かれた環境”との間に不和を起こしたとき、黒江真由は異質な存在として浮き上がってしまうのである。

 

 実例を上げよう。

 黒江は実力主義を掲げる北宇治の中で、「北宇治で長くやってる子が優先してコンクールに出場すべき」と、ある意味で年功序列を重んじるようなことを言った(これが彼女の価値観が措定した“デフォルトの構え”である)。

 彼女は元より、「コンクールで結果を出したい」というよりも「合奏するなら上手なほうが楽しい」という理由で北宇治を選んでいる。

 Aメンバーになれば当然、部の中でも上手い人達と演奏することができる。だから彼女は、「北宇治でもAメンバーになりたいなって思ってる」と発言したのだろう。

 しかし日が近くなると周囲を憂慮し、オーディションを辞退しようとする。部長の黄前久美子や、彼女と仲睦まじい久石奏、果ては他パートの1年生までもが、「黄前久美子ソリストになる」ことを望んでいたからだ。

 むろん、実力差が歴然ならば「黒江真由がソリストになる」ことを誰も否定はしないだろう。しかし黄前は、黒江と肩を並べるほどに演奏が上手い。それなら部長の黄前がソリストになったほうが、部はよっぽど円滑に回る。

 と言うよりか、転校生である黒江真由がソリストになると、黒江自身も楽しくない結果となるのだ。何故なら、ポッと出の転校生がソリの座を奪えば、部の雰囲気が悪くなることは自明であり、合奏の質も下がるのだから。

 

 以上のことを、本人がどれだけ理知的に解しているかは分からない。彼女の性格を鑑みるに、そこまで思考してはいないかもしれない。

 ただ1つ言うのなら、彼女は最初から、楽しむために部活をしているのだ。

 さらに言ってしまうと、彼女にとって全国金賞を目標とした部の体制など、楽しむための手段に過ぎないのである。

 そういった周囲との見解のズレこそが、黒江真由のいちばんの異質さと言える。

 さらに、彼女は“空気を読めない”という特性を持っている。周りとの視点のズレに気がつかないのはそのためでもあるが、そうなってしまったのにはやむにやまれぬ事情があるのだろう。

 思うに、それは彼女の家庭環境だ。

 幾度も転居を繰り返してきた黒江はおそらく、人間関係を構築するにあたって“その場その場に対応する”より手っ取り早い“正攻法”を、無意識の内に導き出した。

 それが先程述べた、“デフォルトの構え”である。

 再三だが、彼女は何よりも「楽しむこと」と「優しさ」を重んじる。そしてそれらは、ほとんどの場合往々にして正しい。つまらないよりも楽しいほうが、厳しいよりも優しいほうが、一般には良しとされるからだ。

 そして何よりそういった構えを取ることで、度重なる環境の変化から余計なストレスを感じずに済む。そのため彼女は、幾度も「こうすれば当たり障りがない」という“構え”を取り、新しい場に溶け込んできたのではないか。*35“合理的というよりズボラだ”という一面も、黒江真由の家庭環境に起因するものなのかもしれない。

 この“構え”は言わば“防衛本能”であり、受け身な性格の彼女にはぴったりの“処世術”だと言うことができる。しかし、無自覚に処世術を頼りすぎることで、黒江真由は周囲から浮いた“空気の読めない存在”となってしまったのだ。

 

 当たり障りのない構えを取り、問題があれば微調整*36していく。“正攻法”であるはずのその手段が、北宇治高校吹奏楽部という過酷な環境では、裏目に出てしまっている

 彼女が今後、新しい切り口から人間関係を構築し、幸せな未来を迎えることを願うばかりだ。

 

 

真由と久美子

 

 黒江真由のパーソナリティを分析していく内に、色々なものが見えてきた。今までの分析で、彼女の異質さ、その一端を理解することができただろう。ただし未だ語れていない重大な点がある。それは、黄前久美子への矢印である。

 「分析」の欄では、「Ⅴ.この女、黄前のことが好きなのか?(ライクではなくラブ?)」を軽い問題として扱っていたが、とんでもない。これは本当に、重く大きい問題なのである。

 

 前述したとおり、真由は“合奏が好き”という価値観を抱いている。だからこそ演奏を楽しむために北宇治へ入ったし、だからこそ合奏に支障をきたす実力主義は好まない。

 しかしながら、久美子に対しての彼女の働きかけは、久美子をたんに上手い奏者として見たものではないように思える。

 そのソースとしていちばんに挙げられるのは、上の「黒江真由 4.黒江と黄前」に記した、久美子をあがた祭りに誘うという行動だ。

  某トランペットのエースではないのだし、さすがに祭りで一緒に楽器を吹くことはしないだろう。真由は純粋に、久美子と遊びたいがために誘ったのだと思われる。*37

 では“どうして久美子なのか”だが、これは彼女の人格や行動規範から類推するに、久美子といる時間が楽しいからである。

 言うなれば、黒江真由は黄前久美子好きなのだ。些か断定的ではあるが、僕はこう言い切っても抵抗を感じない。

 再三だが、本著の黒江真由像には「部長:黄前久美子」「奏者:黄前久美子」というフィルターが掛かっている。だから読者は、真由に対して違和感や焦燥感を抱く。彼女が久美子に近づくのには、何か裏の意図、他意が潜んでいるのではないかと。彼女の純粋さは、再三再四、明記されているにも関わらず。

 問題の渦中にある彼ら彼女らへ移入することも大事ではあるが、一歩退いた客観視も、本質を掴むためには大切である。

 けだし、黒江真由は純粋だ。常軌を逸して純粋だ。その精神は、部長としての久美子や、奏者としての久美子とは、遠く離れた場所にある。

 部を纏めるために、全国金を取るために、実力主義という正しさを作り上げる。麗奈と吹くために、麗奈と並び立つために、半ば強迫観念でソリの座を求める。そういった暗い側面、負の情動は、真由にとっては価値がない。

 彼女の価値観が求めるのは、結局のところ「楽しい」という感情なのだ。

 真由が楽しさを見出すのは、合奏だけに限らない。写真なんかがそうなのだろうし、進路予定先さえも、楽しさを基軸に決めていると思われる。彼女が東京の大学を目指す理由は、東京に友達がいるからだ。当たり前のことではあるが、彼女は交友関係においても「楽しさ」を感じるのである。

 

 そう考えたときに、少し本題からズレるかもしれないが、“恋愛関係についてはどうなのか”という疑問が沸き起こる。

 吹奏楽の超強豪であり、女子高でもある清良に、真由は所属していた。しかし共学の北宇治に入った今でも、思春期の女子にしては恋愛への興味が薄そうである。

 別に男子を嫌悪しているということではないのだろう。これも推察の域を出ないが、進路予定先から考えるに、彼女は無意識で「たった1年しか住まない宇治で交際相手を作るのはナイ」と思っているのではないか。

 友達として仲良くなる分にはいい。仲良く遊べるのは「楽しい」から。けれども、その関係性は「特別じゃなくていい。何故ならば、そこを特別な場所にしてしまえば、そこを離れた自分は、自分自身から離れてしまうから。転居を繰り返してきた彼女にとって、北宇治は人生の通過点に過ぎない。北宇治高校吹奏楽部は、本来の居場所としても、回顧する拠り所としても、彼女の中に所を得ないのだ。

 彼女は北宇治に溶け込めないのは、そういったところにも起因する。「優しい」という面だけしか、彼女の周囲は見てくれないのである。黒江真由は、“価値観”を超えた本来の黒江真由を張っていないのだから。

 

 ただ、だとすれば、明らかに異質な面が浮き彫りになる。

 先程述べた“デフォルトの構え”さえもぶち破る、黒江真由の意志。

 それは、黄前久美子への好意である。

 

 これを、ライクかラブかで区別するのは危険だろう。百合豚よろしく、脳なしに「ラブ」と言い張れるだけの描写は、本書にはない。

「そうやって感情を図式にするの、ちょっと怖い気もするけどね」

「理解した気になっちゃうから。数字とか言葉とかで形にした瞬間に、こう、もやもやーっとしてたものも全部ぱきっとわかりやすいものになるというか。本当はそうじゃなかったはずのものが、形に合うように変わっちゃうような気がする」*38

 事実として言えるのは、現在の真由には(家族を除いて)拠り所がないことだろう。また、1年後に東京で一人暮らしをするということは、その家族からも離れるということである(東京の友達との親密度は不明だが、少なくとも、将来的にはそこが拠り所になるはずである)。

 清良の時点ではどうだっただろうか。本著での描写からは、先輩と比較的良好な関係を築けていたことが窺える。察するに、今の北宇治よりかは親密な関係を築けていたのではないか。

 黒江真由も人間なのだ。集団で生活するとき、分け隔てなく誰にでも“同じベクトルの優しさ”を振り撒くとは考えにくい。

 黄前久美子は、そういった意味で特別親しくなりたい存在だということができる。敢えて言うのなら、真由は久美子と友達になりたいのである。

 

 ここに1つ、突っかかりを覚える。黒江真由にとって友達としての関係性は「特別」じゃなくていい、と先程述べた。それに対し、ここでは「特別親しい」=「友達」という図式を立てている。

 しかし、これは矛盾ではない。

 「特別」という言葉の意味する所が異なっているのだ。語弊があるかもしれないが、前者は“本当の特別”、後者は“比較的特別”と捉えることができる。ここからは便宜上、前者の「特別」に“居場所”、後者の「特別」に“友達”という言葉を当て嵌め、分けて考えてみたい。

 

 またも、「かもしれない」の領域で話を進めることとなるが、真由の言う「東京の友達」は、あくまで“友達”だと思われる。例えば、「中学校のクラス・部活」という集団に属していたとき、大勢いた仲間の中で“特別親しかった”、という類の。

 根拠と言うには薄いかもしれないが、やはり「あんまり自分が写真に写るの好きじゃない」「自分が写ってる写真を見たら、ちょっとぞっとしちゃう」という台詞の示すところが大きい。これは北宇治のみならず、清良、ないしは東京の友達との間でも言えることなのではないか。

 真由にとって、友達はあれど居場所はなかったのである。

 

 本来、このようにして“友達”と“居場所”を分けることは健全ではない。人間にとっての親しい間柄、関係性は、それ即ち拠り所となるべき重要な場なのだから。しかしながら黒江真由は、その家庭環境から、それらが分離せざるを得なかったのである。

 では、彼女が黄前久美子との関係に望むのは、“友達”という「特別」なのか、“居場所”としての「特別」なのか。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 それは、分からない。

 

 実際、黒江真由という女が、黄前久美子という女に、どういった感情を抱くのかは分からない。その重さも、大きさも、分かることなどできはしない。

 

 けれども、読者は望むことができる。

 

 彼女が、“居場所”を作ることを。

 

 

 

 久美子との関係が、居場所になるとは限らない。

 しかし彼女が成長するなら、それは今なのではないか。

 

 “デフォルトの構え”は防衛本能なのだ。

 それに頼ることは大事だし、むしろ自分が自分でいるためには必要である。

 否定できるものではない。

 

 けど、そんなのは甘えだ。

 

 良いか悪いか、それは分からない。

 ただ、甘えているだけでは、“居場所”を作ることはできない。

 

 ……話は変わるが、もし「真由→久美子」の矢印に言葉を当て嵌めるなら、それは「好き」というひどく曖昧な表現になるだろう。

 

 では「久美子→真由」の場合はどうなるだろうか。

 おそらく、これも「好き」になるだろう。その表現は本書内にもあった。

 しかし同時に「踏み込まれると抵抗がある」「距離を縮めることに、困惑する」とも記されているのだ。

 

 そう思う原因は何か。

 

 「部長:黄前久美子」のストレスか。「奏者:黄前久美子」のプライドか。

 

 それらもあるだろう。しかしいちばんに強いのは、

 やはり、真由自身のズレなのである。

 

 分け隔てなく、“楽しさ”を求め、“優しさ”を与える。

 

 北宇治高校吹奏楽部という状況下においては、異常とも取れるそのムーヴ。こと久美子との関係においては、それが更に異常なものとなるのだ。

 

 真由にとって、合奏とは何か。そこに楽しさを感じる以上は、たんなる技術の重ね合いではないと思われる。

 ただ、彼女は「合奏するなら上手なほうが楽しい」と言っていた。

 そして、久美子とのソリで、彼女は純粋な喜びを感じていた。

 つまり、黒江真由は、黄前久美子ユーフォニアム奏者としても認めているのだ。

 

 おそらく、黄前久美子はこのことを十分に認識していない。

 どちらが優れた奏者かなどという問題ではない。

 黒江真由は、人間として見たときも、奏者として見たときも、久美子から琴線に触れる何かを感じているのだ。

 

 だから彼女は(“友達”としてか“居場所”を求めてかはともかく)、久美子に近づくのである。

 普段は“構え”に頼り、“受け身”でいるはずの彼女が、である。

 

 その、普段のズレに起因するギャップが、久美子の目には「異質」と映る。

 

 先述したように、真由のズレは北宇治に限って起こり得るものではない。彼女は清良においてもどこかが異常であったし、なんなら、表に出ないだけで日常においても異常なのである。彼女が取る“デフォルトの構え”は、少なからず、彼女の“ズボラ”さ、“甘え”に根差しているのだから。

 それが、厳しい状況下では浮き彫りになる。

 ただ“楽しさ”を求めるだけではダメなのだ。

 

 彼女がこの先、「自分を写真に写したい」と思えるだけの“居場所を作るには、

 彼女が自分の“ズレ自覚する必要がある。

 

 

 真由の久美子への働きかけが、今後どのように作用するのか。

 本来の自分を出すことで、自らの異質さに気づくことができるのか。

 

 後編に期待したい。

 

*1:本書p.370より引用

*2:p.32より

*3:p.100より

*4:同上

*5:p.173より

*6:p.198より

*7:p.201より

*8:p.202より

*9:同上

*10:p.260より

*11:p.302より

*12:p.308より

*13:p.356より

*14:p.32より

*15:p.89より

*16:p.100より

*17:p.114より

*18:p.139より

*19:p.143より

*20:p.174より

*21:p.196より

*22:p.262より

*23:同上

*24:p.278より

*25:同上

*26:pp.279-280より

*27:p.280より

*28:p.281より

*29:p.306より

*30:p.323より

*31:pp.352-353より

*32:p.354より

*33:同上

*34:p.369より

*35:しかし、本当の意味で“溶け込めている”とは言えないだろう。「自分が写ってる写真を見たら、ちょっとぞっとしちゃう」という言葉には、「“みんな”の中にいる“自分”を肯定できない」という思考が見え隠れしている。

*36:p.356参照。「もし変だと思ったら、ちゃんと指摘してね。私、全部直すから」という台詞には、彼女の受け身の姿勢、ストレスを感じないための防衛本能が垣間見える。

*37:これについては議論の余地があるかもしれない。何故ならば、久美子があがた祭りの誘いを断った直後に、真由はソリを吹かないかと持ち掛けているからである。

*38:響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編p.113より引用