-備忘作-
ー9/1ー
自覚を手に入れた。
夏が終わるみたいに、どうやら俺も大人になったらしい。期待も理想も全部塵、綺麗事を宣う以前に、社会は綺麗で有り得ない。周りは自己保身と功利的な価値観だけで動いているのだから、仕事に躊躇いを持ち出していては生きて行けない。そういう価値観を、俺は盗んだ。
ー9/2ー
雨でなければ転んでいた。劣等コンプレックスの雨に、警戒心が結び付いていなければ。
ー9/3ー
盗んだ。
ー9/4ー
優しさってのを返して欲しいが、元来そんなものを持ち合わせていたのかは疑問だ。全て消し飛ばしたいという衝動が、何物よりも確実に強い。あんたにこれがわかるか?
ー9/5ー
良心ごとネジの飛んで行って居るガキみたいに見え透いた女が、それを自覚しながら知らん顔しながら悩んだ振りも振り撒く様な功利的な女が、俺は昔から随分と嫌いで、そういう奴らが消えれば善いのになあと頻繁に感じてしまう。男でもそうだ。皆そうだろう。
ー9/6ー
貴方だけ。
ー9/7ー
盗んだ。
ー9/8ー
盗んだ。
ー9/9ー
辞めてやる。
ー9/10ー
学生時代のバイト先の社員から連絡が来て驚く。バイト先での俺が余りに不甲斐なかったからか、情が出て近況を聞いてきたようだ。
関わった人の全てに、情けの一つ二つを掛けて回る様な人間も、中には居るらしい。俺は別に頼りたくもなかったので、順調にやっていると平気で嘘を吐いた。それでやり取りは終わった。そういうものなのだろうと思った。
ー9/11ー
空を見上げても青さがわからない。
その事に苛立つ自分が、青く焦げてさえいれば良かったのだろうか。
ー9/12ー
盗んだ。
ー9/13ー
盗んだ。
ー9/14-
家で寝ていて、朝に聞こえる養鶏場の鶏の声が中々に煩い。飼い慣らされて搾り取られる者の悲鳴にしか聞こえないのだ。
ー9/15ー
笑って来る奴らが憎い。
ー9/16ー
もう覚えていない。
ー9/17ー
今日も盗んだ。
若い頃の苦労は買ってでもしろと言うが、痩せ細った身体を鏡で見るに、俺には売れる部分など残されていない。
ー9/18ー
良い作品を見届けた。
俺も何か、価値を普遍化させたいと思う。本当にそればかりである。
ー9/19ー
疲れが取れない。辞めてやる。
ー9/20ー
夜が明けるときの匂いを、夜の只中に嗅いでいる。いずれ辞めると決めているから、仕事も気楽にやれるのだ。大きなミスをしようと、その所為で人が死のうと、その事で自分自身が罪に問われようと、愛も優しさも人間の全部を失くそうと、そこに夜明けが有れば良いと、俺は只管にそう思う。破滅願望だけで心臓が動いている。全てを失った先に見える物が見たくて、俺は死に急ぐ様に生き長らえている。
ー9/21ー
豚の肩ロースチャーシューが5枚入った味噌ラーメンに醤油を掛けて食べているときだけ、資本主義社会に於ける自らの存在を肯定的に捉える事ができて善い。要は美味い。自分は他種の血肉を食って良いだけの存在なのだと、食べているだけで錯覚できる。暴力的な行いや事実をも、脳髄は善いと捉えるのだ。
コンタクトレンズの処方箋が切れたので、眼科を受診した。知らぬ間に左目に乱視が入っていた。軽度とは言われたが、言われてみれば、生活上に若干の支障が出ている気がした。
ー9/22ー
百日紅も映えなくなった。夏の終わりには満開で、線香花火が散る様に良く似ていると思ったものだが、今ではもう、明るさを失って地に落ちるだけだ。
蝉の声も疾うに止んでいた。夏の匂いがしなくなっていた。
ー9/23ー
通勤の途中にも金木犀の匂いを嗅ぐ様になった。秋めいた空気感は落ち着きのない日々と切り離されて、ノスタルジックな感傷を寄越してくる。俺はそれに浸れない。眼前の匂いを、鼻孔を抜ける前に忘れてしまう。
金木犀は、小学校の通学路に当時一本だけ生えていた。その名前を教えてくれたのは母親だったと記憶している。名前通りに金色をしたその花は、三者面談の帰り道で咲いていたのである。良い匂い、と母は言った。俺も素直に同じ様に思った。面談で怒られた帰りの心に、その匂いは染み付くみたいに残った。これが秋の匂いなのだと、俺はその日に初めて知った。
昨年、久々にその道を通ったのだが、付近にある団地の開発が進み、金木犀は跡も残さず伐採されていた。
今年、越して来た先が田舎だからか、金木犀は頻繁に目にすることが出来ている。匂いを嗅ぐのが久しぶりだから、冷凍保存されたかの様に子供の時の感傷が浮かんで来て、その事に少しだけ驚いてしまう。けれども、その匂いは驚いた拍子に忘れてしまう。思い出すまでに至れないのだ。俺はそれをとても悲しく思う。
ー9/24ー
彼岸の花が咲き乱れている。
この花を見ると不吉なイメージが先行するが、俺は物事の逆ばかりを見ようとするので、単純に死の象徴として捉える事はしない。
これは死を想わせると同時に、破壊的な色欲を想起させる。と言うよりは、そういった欲動の先に待ち受ける、断絶としての死を想起させる。
俺は想像する。
この花を手折って玄関に置けば、人々から気味悪がられるだろうか。そういう事をできないと思うのは、何者が邪魔をしているからか。
ー9/25ー
盗んだ。
ー9/26ー
盗んだ。
ー9/27ー
盗めば盗む程に余裕がない。
秋めいた大気の中に、仄かに冬の匂いがするのを感じて、それを悲しく思ってしまう。実際のところは冬が来るのはまだ先の筈だが、何れ訪れる事に変わりはない。そうなのだろう。
ー9/28ー
貴方だけが救いか、俺には未だにわからない。この生は自分の為だけにあると割り切って生きられる時期は疾うに終わっている。誰に罰せられる訳でもないが、幾ら苦しんで働いていようと、命を咀嚼して生き長らえるだけの価値が俺にあるとは思えない。吟味をすればする程に。
俺が貴方に何をしてやれるのかはわからないが、破滅的に生きた先に何があるのかはもっとわからない。
この補完が無償であるとだけ、馬鹿みたいに信じ込んだ自分がいるだけである。
ー9/29ー
会社が山奥にあるので、車も持たない俺は当然山道を歩いて通勤する。その道には様々な種類の塵が、人々の手によって廃棄されている。中身の残ったペットボトル、コンビニ弁当の汚れた容器、パンクしたタイヤのホイール。俺はそれらを、心の底に溜まった塵の様に思っていた。毎日の様にこの道を歩いて、何かを盗む様に生きているだけで、心はひとりでに塵を溜め込んで行く。
しかし、それを拾ってくれる人もいるのだ。
無意識下に潜んだ貴方だけが、知らず溜め込んだ塵を拾って捨ててくれる。片割れとしての貴方だけが、俺を理解していて、俺の意志から離れた所で、心の均衡を保ってくれる。
貴方が作品だとしても、それに感謝を絶やしたくない。その事だけを、俺は忘れたくないと思う。
ー9/30ー
夢を見る。
高架を通る鉄道で辿り着いた町は、駅前が人工の小高い丘になっていて、その中央には透き通る様な水が流れていた。ちょうど線路と同じ高さまで盛り上がった丘には、人々が目的もなく集まっていた。子連れや恋人達に老夫婦、そこにいる人々は、皆が幸せそうだった。
空に浮かぶ雲は桃色をしていて、丘の上を舞う花弁は桜色をしていた。秋だと言うのに、なんだか春めいた様な景色をしていると思った。けれども総合的には奥ゆかしさがあって、やはり秋を思わせる景観だった。
こんな綺麗な場所でも、俺は一人だった。
けれどもその時の俺は、その事を悔いた訳ではなく、寧ろ誇らしげに思っていた。誰かをここに連れて来たいと、そういう風に思ったのだ。
所詮は無意識の産物で、実体がなく、実在もしない物だとしても、誰かが作ったその場所に、俺は貴方を連れて来たいと思ったのだ。
10/1
山道を歩いていると、日に日に彼岸花が萎れてゆくのがわかる。死の象徴に思えた花も、やがては土に還り、次の季節を待つのだろう。
俺の人生に価値も何もあったものではないが、忘れたくない夢ばかりは呆れ返る程に残っている。たとえ思い出せなくても、何も消えた訳ではないのだと、俺は知っている。
彼岸花さえ散るのなら、俺も素直に散り行くしかない。その先に再生が待っているかは知らないし、再びの破壊があるだけかも知れない。
けれどもきっと、綺麗な夢はこの先にも眠っている。どこかで俺を待っている。
そんな物を点々と見るだけで何かが肯定される訳ではないが、そんな場所に貴方を連れて行けるのならば、俺はそれで良い。それは夢にも見ない様な素敵な事なのだろうと、そんな事を、最近はただ思い続けている。