雲と私情

創作品

1,000円札を素通りした

出勤6時間前に起きて、何度か2度寝しようとしたけれど無理で、やることもないから文章でも書くことにした。創作ができないことを理由に書くことをやめてしまったら、きっと僕の人間としての価値はそこで終わる。

最近は何があったろう。好きなバンドの新曲が出た。天井を見上げる回数が増えた。部屋が少し汚くなった。それから、サイレントギターを買った。

以前作曲を始めたと書いたけれど、実のところやり方そのものが分かっていない。詩を書いて、それに合うメロディを歌ってみるくらいしか為す術がない。そもそもコード進行も何もわからないし、曲なんて作りようがないのだ。

そのことに気づいて作曲はおろか作詞も中断していたんだけど、それ以外に何をしていたか碌に思い出せない。思い出せるのはあの事ぐらいか。

僕は今、少し田舎に住んでいて、隣町に出るためのバスに乗るにも山一つ降りないといけない。近くにバス停はあるけど、朝の10時台になるともう出ていないような頻度なので、殆ど山を降りることになる。

世の中は大災害に見舞われていて、不要不急の外出は避けるべきと言われているが、この間少し用があって、僕は最寄り駅まで出た。その時もバスに乗るために山一つ降りたのだった。

まあ、山と言っても僕が住んでいるのは平地で、住宅もかなりある。そういう場所から谷に向かう山道には、大抵、曲がりくねった車道と、近道のできる歩行者用の急な坂道がある。僕はその坂道を歩き、車道に出て、左右を確認してから対岸にある歩道に渡った。ガードレールの無い場所から歩道に入り、ふと足下を見ると、1,000円札が落ちていた。僕は物珍しいと思いながら素通りした。

素通りしてから、僕は拾ったほうが良かったのではないかと思った。こんな道だから車の通りだけ気にすれば誰に見られるでもないだろうし、もし拾われずに土に帰ってしまうなら、僕が拾ったほうがまだ人間のためにはなる。

何より勿体無いと思った。千円は交番に届けるには少額過ぎるが、1日の食費を賄うには事足りる金だ。なのに、僕は拾う素振りも見せずにどんどん坂道を歩いていくのだ。脳内をひたすらに1,000円札で埋め尽くされたままで、未練だけを残して僕は歩いていった。

尽く、人間というのは愚かだと思う。道に落ちた価値付けられただけの紙切れにこうも振り回されてしまう。拾わずにいて振り回される僕は更に愚かだ。

行きのバスは最初、乗客が僕1人しかいなかった。駅に着くまでも4,5人くらいしか乗っていなかったと思う。改めて、世の情勢が凄いことになっているんだなぁと、他人事ながら感動を覚えた。今の時代、人が多すぎると感じるし、僕はいつもそのくらいで構わないと思うけどね。

 

用事が意外に早く済んだので、帰りも谷のバス停を使う事になってしまった。家の最寄りのバスは朝と夕方しか出ていないから、帰るのが半端な昼下がりになると、山道を家まで歩くことになる。

まだ1,000円札が落ちているかもしれないと思ったけれど、1度雨が降ったので、もうびしょびしょに濡れてしまっているだろう。或いは、誰かに拾われているかもしれない。そんな事を考えながら、僕は帰りのバスに乗る。

乗車率は高かった。行きのバスが空いていたのは、出た時間が遅かったからかもしれない。ともあれ、帰りの時間が予想より早まった事で、僕は再びあの山道を通ることになった。

バスを降りて、イヤホンで耳を塞ぎながら山道を登っていく。果たして1,000円札は濡れているか、取られているか。いや、事実はもっと単純な2択で、有るか無いかだ。

あの道に差し掛かって、僕は食い入るように歩道の端を凝視した。ガードレールが無い部分、正午前に自分が歩いた場所を。

木の枝や湿った土がある。白い塵のようなものが落ちている。しかし、そこに1,000円札は無かった。

僕が頭を上げると、山側から車が出てきていた。僕はこの場で立ち止まっているのが恥ずかしくなって、急に走って車道を渡った。危ない渡り方をしたと思う。イヤホンをしていて、エンジンの音が聞こえていなかった。

雨上がりの濡れたコンクリートを踏んで、急な坂道を登る。傍らに咲いた菫だけ綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログの今月の閲覧数が100を越えたらしい。名前通り私情を書き留めているだけなのに、人間は家に篭ると相当暇なんだな。