春から初夏に掛けて雛芥子と云う花が開く。
路傍に見るそれを、手折り摘み取る気も起きない。
花弁四つを散らしてしまって、そうして残った花柱を、私は見つめられる気がしない。
その顔を、私は見つめられる気がしない。
表情の奥、筋肉や血管、神経系やリンパ系を越えて、更に深層に有るもの。それら表層を司るもの。脳と呼ばれる場所。
私は他人のそれを、見つめられる気がしない。
そこに神様など宿ってはいない。
そこに心など有る筈もない。
有るのは表層に、鏡だけ。
私は私の考えと云うものを、見つめられる気がしない。
下を向いて歩いているのは他人を避けたいからではない。
この間違った生き方と向き合うのがとてつもなく恐ろしい。
向き合っているのだと嘘をついて、自分にすら嘘をついて、盲てばかりのこの欺瞞。
私は見つめられる気がしない。
私は見つめられる気がしない。
瞑った瞼に見る暗闇。
この花を散らした後、人生の終わり方を。