雲と私情

創作品

新らしい人生2020 -REIWA HEIWA KOKOHA KOUYA-

 

 そこは荒野だった。

 

 やぶれかぶれだ! もう、何一つも無くなった。河川の土手を歩いてきて、どれだけの時間が経過したのだろう。気付けば冬の朝の張り付く様な冷たさは薄らいでいて、温かみのある陽光が水面に差していた。揺蕩うそれは、受けた眩しさを乱反射させ、乾いたわたしの目をいじめてくる。眩さから逃れようと視界を動かすと、空を鳶が舞っているのが見えた。

 

 まだ半年と少ししか勤務していない会社を、わたしは辞めた。それはもう、円満退社なんて言葉とは程遠い形での退社だ。上長に直接、暴言を吐き散らして辞めたのだから。

 歯に衣着せてばかりの、人を騙してばかりの人に、わたしは騙され、服従させられていた。あいつは碌に仕事も教えてくれないまま、何故かわたしに人の教育を任せてきた。労働環境が過酷で、人手が足りていないから、わたしのような半人前に教育をさせるのである。それがわたしのような部下にとって、どれだけ負担になろうとも。

 それにしたってもっと増しなやり方があるだろう。もっと上手い騙し方があるだろう。けれどもあの人は、愚直に人を騙す。愚直に詭弁を並べる。自分の事を鼻に掛け、安っぽいプライドばかりを高く掲げて、ふんぞり返っている。まぁ、そんなだから、あの人の周りからの評判は当然のように悪かったけれど。

 会社という組織については、入る前は、たとえ仕事は大変でも、安定した会社だと思っていた。今は組織の構造が不完全でも、段々と良くなって行くんだろうと曖昧に思っていた。しかしながら、じっさいに放り込まれれば考えは変わった。入社後のギャップなんて良く聞く話ではあるが、それどころではない。この会社のこれはもう、詐欺に値する騙し様である。わたしは、令和時代の先進国において、人を奴隷制度のそれよりも達の悪いやり方で扱い回す労働環境が、こうして実在するのだと、社会に出ることで初めて知った。内定式で「うちは間違いなく良い会社です」と言ったあの専務も、上長と同じくやはり大嘘吐きだった。

 何か起これば責任問題、下の人間が槍玉に上げられ、此奴が悪いと責められる。この世の悪の全てを、そこに集めて凝視するかのように、会社は集中的に、一人の人間に責任を負わせる。上ではなく、下に、下に。実際にやった奴が悪い。現場に居た奴が悪い。蜥蜴が尻尾を切るように、ともすればそれよりも容易く、反射的に、会社は自己保身へと走る。組織がそうするようになっている。そういう構造を崩れ難く強固にしているのが、ああいった、欺瞞だらけの人間たちだった。

 わたしは今日、そのことを、もっと罵倒に寄った口調で上長に吐き散らした。たぶん、殺すとか、汚い言葉も使っていた。今までわたしはそんな言葉を使う人は幼稚だと思っていたし、今もそう思うが、わたしは誰に幼稚と思われようともお構いなしだった。

 深夜に出勤し、夜を明かして日が昇るまで十時間、ともすれば十五時間以上、毎晩のように働かさせられる。昼になって家に帰ると、脳が悲鳴を上げ出して、アルコール度数二十五パーセントの鏡月を勝手に呷る。疲れのために休日の睡眠時間は二桁に届いて、しかも日中は殆ど寝ているものだから、スーパーに行く以外に、何もできずに次の出勤日を迎えてしまう。わたしはもう、自分の生活すらもなんだかわからなくなっていた。生きている中で確からしく思えるのは、鏡月の空き瓶であの上長の頭をパッカーンと叩き割り、殴り殺したいという、 破壊衝動だけであった。

 新しい人生。そんなものがあるのだと昔は思っていた。漠然とそう思って、疑いはしなかった。じっさいわたしは新しい人生へと踏み出したのだろう。けれどもそれは、わたしの欲しいものではなかった。大学時代のほうが、仲間と馬鹿みたく遊んで、カラオケボックスで夜を明かしたあの頃のほうが、わたしにとってはずっと価値のある時間だった。後輩たちが持ち上げてくれていただけで、皆んな付き合ってくれていただけなのだとしても、それは価値のある時間だった。口座に貯まった財産よりも、ずっと価値のある。

 だからわたしは辞めた。辞めてここまで歩いてきた。田舎の山の方から、河川を伝って何キロメートルも。借家のことや家材のことは知ったことではなく、どうでも良かった。わたしにはただ歩くしかなかった。上流があんなに薄汚ければ、下流はもっと汚いかも知れない。それでもわたしには、財布一つを握りしめて、逃げ出すことしかできなかった。

 環境が良くないことには疾うに気が付いていた。そういう場所で、わたしは何もできなかった。そもそも何かを成し得るような場所だったのかはわからないが、努力して変えようとする人たちはいた。こんな会社を好きになれないのは同じだろうに、わたしよりもずっと真剣に考えて、変えようとする人たちはいた。わたしは呑まれるばかりで何もしなかった。わたしというのはそういった、自立のできていない人間だった。

 だけれど、その場所はもう辞めた。自立も何も、もう関係ない。自由はなくても要望はある。今のわたしは、この地続きの土手を越えて、もっと容易く呑まれてしまえるような、広い、広い、海が見たいと思っている。

 

 何をするにも対価が要る。そのこと自体にはもう慣れたが、更に理不尽がつきまとうのが、この世の理なのだと思う。ギブアンドテイクを要求する癖に、ギブアンドテイクだけでは許されない。この世の本質は矛盾である。世界平和を謳うのが良いことだとして、そういう仕組みを呪うのは悪いことだろうか。何か被害を受けた人に、それでも前を向こうとか、未来は元気だとか、そういうことをいうのは正しいことなのか。きっとそうなのだろう。妬みを抱くのは間違っていて、救いを与えるのは尊いことなのだろう。けれども虐げられた側は、場合によっては、そういう救いを高みから見下されているだけの様に受け取る。というより、そういうのはじっさい往々にして、高みから見下している。自分たちには余裕があって、余裕がない人たちを助ける義務がある、等と殊勝な考えを抱いていようと、そこには、自分たちのほうが上だという、隠れた差別が存在している。そういう差別に曝された者が、ギブアンドテイクの影で理不尽を押し付けられた者が、妬みを抱くのは当然である。矛盾というのは無ではなく、力である。正義の人が、正義とは対義の悪に触れている、その捻れは力である。理論を度外視した力である。悪役が筋の通った復讐をしても、その道理を無視して、白も黒にしてしまうのが、この世の道理なのである。道理とは筋の通ったものではなく、秩序維持のための堅固な防衛機能に過ぎない。世界平和を謳う者たちの思想を人間像に置き換えれば、それは驕り高ぶり贅沢の限りを尽くす貴族である。彼らは人道や徳に秀でているのではなく、たんに、他人から搾取することで獲た余裕で、高笑いをしているだけなのである。

 

 歩き疲れ、わたしは列車に乗っていた。座席に座って眠ろうとしたのだけれど、眠れずに、夜勤の疲れと覚せいした脳で朦朧としながら、世界の矛盾について漠然と考えていた。

 列車は、河川と等間隔のまま下流へと走った。平日の午後、まだ日も暮れない時間の車内は、人が少なく、多くは高齢者だった。

 詰まらないと感じる。この車内に限った話ではなく、ここ最近はずっとだ。どこで間違えたのだろう。わたしはどこへ向かっているのだろう。思考がするすると滑る。曖昧模糊な不安感だけが胸を覆っている。

 各駅に停車し、扉が開く度に、寒気が流れ込んでくる。わたしはそれが嫌で、終点に着く前に下車することにした。まだ疲れは取れていないし、取れるわけもないけれど、駅に着く度に外の寒さを思い知らされるのが、今は何よりも不快だった。わたしは。

 列車を降りても景色はさほど変わらず、わたしは河川の土手を只管に歩いた。空は変わらず青かったが、その青さは少し色褪せ、日が傾き始めていた。白い月が頭上に見える。満月よりも少しだけ欠けたそれを、わたしはクラゲみたいだと思った。このまま歩いたら、海月とも水母とも書く、その水生生物に出会えるだろうか。そんな考えに、少し、ほんの少しだけ、ずっと渦巻いている詰まらなさが薄らいだ。

 

 わたしは全部が欲しいというよりも、自分ごと全部に成りたいと思う。目の前とか掌の上に文句のつけようがない綺麗なものを鑑賞するより、それを所有して独占していたい。欠けたものを埋めるのが、わたしの行動の規範だった。その癖、他人の所有物をあまり欲しがらないのは、自分ばかりに興味があるからである。前提として、わたしは殆ど無意識に、人より優れていると思っている。思想の上では殊更である。だから足りないものは盗む。そうやって埋める。時々そういう悪癖を自覚するけれど、幾つになっても直らない。自覚すれば埋め立てたものが水に流された感じがして、空っぽな自分に心が腐敗する。けれどそこから変わることはない。腐り切った先で、また新しい心を仕入れるだけである。本質的な貧しさに無視を決め込んで、いつまでも悪い手癖で盗みを働く。わたしというのはそういう人間であった。

 

 視界に茜が差している。横の水面は、気付けば流れが穏やかになっていて、段々と色を濃くしていた。烏が橙色の空を横切る。その下の、奥の方に、高架橋が土手を跨ぐのが見える。それは線路であり、先程の路線のものとは違うものだった。わたしは頭に地図を浮かべる。この川沿いで線路が垂直に通っているのは一箇所だけだった。もうじき海だ。

 正面から吹き付ける寒気に息をつく。思考を巡らせた後に、それが海風だと気付く。わたしはその冷たさに納得した。

 高架下を抜けた先は、土手と河川敷とが一体になっていて、地形が海を迎え入れていた。しかしながら別段、海はこちらを迎え受けてはいないようで、河口付近の敷地は一体が通行止めとなっていた。立て看板を見ると何かの工事中のようで、重機が乱立していた。土木作業員の姿は見えなかったが、その地帯を堂々と歩くだけの胆力もなく、わたしは回り道をすることにした。

 河川敷を抜けて住宅街に入ると、懐かしい匂いが鼻をつついた。魚の干物の匂いだった。わたしは幼少期を思い出す。自分で何もせずとも食卓に食事が並び、車で遠くまで連れて行って貰い、温かい風呂に入れて貰えた頃を。わたしは悲しく思う。それが帰らぬ日々である事を。自分一人で暮らすことの意味を。受けた有り難みではなく、消えた悲しみばかりが募る。何かしなければ何も与えられず、何かしたとて何か失う。そういった、悲しみばかりが募る。

 なだらかな坂を越えて路地を抜けると、踏切があった。私鉄の路線が通っているらしい。わたしは暫しの間、鐘の鳴る中で立ち往生した。赤い光が目に刺さる。向こうにある筈のお日様は、家の影に遮られて見えなかった。すぐ近くに駅があるようで、電車はゆっくりと走ってきた。小気味のいい機械音がしている。車内の灯りが夜を思わせる。

 踏切が開き、わたしは再び歩いた。気付けば脚は、鉛の棒のようだった。けれどももう近い。もうすぐそこまで来ている。もうじきにそれが見える。わたしにもそれが見える。

 道が突き当たりになって、ガードレールと白い柵の向こうには日の落ちかけた夕暮れ空があった。傍には階段があり、そこから砂浜へと降りられるようだった。

 

 そこは荒野だった。

 

 凹凸のある柔らかい地面に足を取られ、危うく転びそうになる。辺り一面、砂浜が広がっていた。藍色に滲んだ空の下では砂の白さはわからず、そこはただ、歩きづらいだけの荒野であった。

 覚束ない動きをする鉛の脚で、放浪するように海へと近づいて行く。途中、浜に細く線が入っていた。数十センチメートルほどの幅の水路があったのだ。子供の頃に行った海水浴場にも、こういうのがあったことを思い出す。

 波打ち際に着いて、わたしは靴を脱ぎ捨てる。息を飲む。海水は暗く、頭上には降り注ぐ月光があった。月が見ている。わたしはそれが見えている。それはあまりにも美しく、まざまざと、見せつけるようにこちらを見ている。すべての自意識がその一点に集中している。すべてのわたしを消したいと思う。このまま数歩歩けば、足は海水に浸かってしまう。

 わたしは膝から崩れ、限界だ、と思った。こんな荒野じゃわたしは生きられない。寝転がった地面の冷たさに縮こまる。外套に付着した砂を見て萎える。立ち上がる気力もない。生物を探そうだなんて気は疾うに消え失せていた。

 母なる海は眼前にある。だっていうのにわたしは立てない。竦んだ手足と動かない神経を、疲れのせいにしている。疲れを生み出した環境のせいにしている。いつだってそうだ。どうしようもなさの原因を、自分以外の何者かに擦り付けてばかりで、一人では満足に逃げることもできない。労働からも生活からも抜け出せない。何なら今だって、満潮が来て、流されるのを待っている。

 心臓がぎゅるりと音を上げる。躁鬱状態にあることを自覚する。過度なストレスで呼吸が荒くなり、出処のわからない重圧に筋肉が収縮する。視線を上へ上へと上げる。まだそこで、月が見ている。わたしが見たいと思っているのは、予てからそれだけだった。

 意識が薄れ、思考が自分の身体から乖離して行く。こんな自分すらも、高くから、乃至は深くから見つめて、認めている自分がいる。そんな肯定感さえ消し飛ばしてやりたい。もう対話は辞めにしよう。救いはいらない。全部がいらない。わたしにはこの海と月光だけで良かった。海水の波が、わたしの手元に到着する。その冷たさが、死んでしまうぐらいに心地良かった。

 

 荒野よりも荒れた心は、いつの間にか浄化されていた。その心でもう一度、あの月を見上げる。月と対等なまなこで願う。こんな行き止まりの思考を、どうか越えて行って欲しい。新しい人生とか、新しい時代とか、そういうのは綺麗事かもしれない。実際にはない、机上にもない、形而上以上の詭弁かもしれない。それでもそれすらも越えて、がらんどうの堂々巡りを越えて、どうかその先を知って欲しい。そうできる大人になって欲しい。せめて、せめて、わたしを越えて、どうか、どうか。わたし以外の誰かに向けて、わたしは一人、そう願っている。

 

 

 

 

 

 

荒野より。