雲と私情

創作品

断片

 

 

〇人に借りた本を読んで少し考えた

 

・全体者の一側面、タイプ、様式として僕ら人間が表れ出ていると前提しても良いが、それとは別に、君ら人間と同じ出処から、自然や物理法則から、この欲望だとかリビドーだとか言ったものが現れ出る事は、何か煮え切らないものを感じさせる。

→それは恐らく、自己を創造者と位置づけ、陰に特別な存在であると主張したがっている

からである。しかし誰も、本当の意味での創造者には成り得ない。個々の創造の質に程度の差は有れど。


・全体者になろうとする人間に碌な奴は居ないし、それを(赤の)他人に、それも複数人に求める奴は、尚の事である。

→前者は俺も他人事ではないが、後者の様なふざけた思考回路をしているのは僕の上司ぐらいのものか? 皆が全体者になる(である、の方が的を射ているか)事が目指すべき場所だとでも考えているのだろうか? 端的に馬鹿。

 

 

〇最近

 

・髪を切ったついでと言うか、折角街に出たもののやる事が無かった為に、わざわざ映画館でシン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観た。高校時代にTVアニメ版を観て以来、これと言ってコンテンツに触れる機会が無かったが、友人らが映画の話をしていて気になったのと、何かに燻っている自分に厭き厭きとして、そういう動機付けをして、観る事にした。高校生の自分には注視出来なかったであろうテーマ性がそこにはあって、まあ、この歳までアニメなんかを抵抗無く観られる様な人間で良かったと思う(この作品はそういう人間をある意味で風刺し、刺激したい意があって制作されたのかも知れないが、それを受けてどう動くのかは、どうあろうと当人次第だろう)。

 

・仕事の事で燻っていたのは何時もの事だし、言うまでも無いが、まぁ、曲がりなりにも立つ事が出来たんじゃないかと思う。本当に曲がりなりであるが。

 

・これはこれでも俺は頑張った。

 

・全然執筆が出来ていないという旨の友人のツイートを見掛けたが、俺も全然執筆が出来ていないし他人事じゃないし見掛けるに留めている場合でもない。これに関してはそもそも頑張れていないのが真因である。要領の悪さとリソースの割き方が、何かを解決する上での己の問題点の過半数である。

 

・待っていた、春が来た。

 

・人と花見が出来た。良かった。良かった事を、俺は忘れてはならない。

 

・一年が経つ。

 

・新年度が始まる。

 

・何か新しい様な匂いがする。

 

・俺は改める。

 

・きっと、どこまでも行くだろう。